明るい生活

みんなに読まれたい

卒業と、それからのうだうだ

 クリスマスだ。だから何という話ではあるが、なんとなくそわそわし、ちょっと街にでも出掛けようかなという気分になる。実体のない“みんな”に付いていけずに疎外感を味わされるのが嫌で、私もその人達のする何かに参加したいのである。その何かが何たるかははまだ分からないが、主体性がなく、無意識のうちに常に“ここではないどこか”を探している私には恐らく一生わからない。自分がそういうしょうもない性質の人間であるということだけはわかった。

  9月の半ば、私は同窓生から半年遅れて卒業し、晴れてフリーターとなった。学生でもなく社会人でもない、よくわからない曖昧な立場から社会に参加することは難しく、未だに学生時代の交友関係や思い出に縋って生活している。みんなそうなのかもしれないけれど、すごくやばいのかもしれない。周りを見渡すと、私と同じように留年し現在も学生生活を続けている友人は少なくないが、そういった友人達は皆大きな目標や問題、特別な事情を抱えていて、ただ自堕落なだけの何もしていない私とは違うような気がする。そもそもよく考えるとそう親しくもない。そういった友人達とは滅多に会うことはないが、何となく共同体意識を持って以前よりも少しだけ親しくなったような気がしている。


〜削除しました〜


 私は一旦就職したら、少なくともしばらくは怠惰に働き続けるだろう。自分を変化させるエネルギーがないということは、全てを辞めて怠けてしまう人間よりもさらに厄介かもしれない。私はこれからもブスでブスキャラで、便利な女として価値を見出してくれる方にだけは相手にしてもらえる、という立場でい続けると思う。悲しい。そういう星。

 結局私はまた、相変わらずバイト漬けの毎日にうんざりし、電車を呪っている。

夏を終わらせるな

 BOATというバンドが好きで、去年の夏には死ぬほど聴いた。夏全開!という感じの元気なポップパンクバンド。NATSUMENの前身だそうだ。いいよ。

 今年の夏は音楽を聴かなかった。時給四ケタの健全なアルバイトのために毎朝早起きをして、夜は暑さで眠れず苦しんだ。我が家にはリビングに一台だけクーラーがあるが、エコと倹約をモットーとする母はその使用を認めたがらない。昨年までの私はまあそういうものか、と考えていたが、今年はぼんやりともしていられない暑さにどうしても腹が立ち、扇風機から送られる生ぬるい風にも怒っていた。音楽を聴いている場合ではない。あまりにも暑いと気温と飲み物のことしか考えることができず、音楽を聴くことができるのは余裕のあるときだけだと気付いた。

 何年か前の初夏、私には初めて恋人ができ、それまで嫌いだった生ゴミ臭くてビワコ虫だらけの汚い夏は明るく輝く最高の季節になった。恋人と過ごして笑い、サークル生活は充実し、大学の勉強も楽しかった。何よりも、一年前から始めた下宿生活の快適さに叫び出したいほどの自由を感じていた。あの夏には、私の青春と女の子としてのあまりにも短かった人生のすべてが詰まっていた。好きな人に好かれたと感じて浮かれていたことや思い出補正が働いていることを除いても、あんなにキラキラした季節はもう来ないような気がする。

 恋人とはまだ続いているが、もともと影のある佇まいが格好良いと思えた彼はその性格の9割を占める陰気な気質を隠さなくなり、私もしっかり者で気遣いのできる女の子ではいられず厚かましい狂人になった。貧しくてギリギリだった二人の置かれた状況はどんどん悪くなり、お互いのしょうもなさから目を反らせないほどに時間が経った。もう終わりが見えている。悲しいなあ。泣けてきた。

 それでも今年も夏は来た。あの夏のように、それが無理ならせめてあの夏の次に最高の夏にしようと誓ったが、気付けば夏は終わり、あんなに腹を立てた日差しも恋しい季節が来ていた。暑さとお金、それからださいお酒で消費してしまった22歳の夏は、ここ数年でも最低の過ごし方をしたように思う。コールセンターのクーラーで冷やされ、外気の熱にやられた陰気で憂鬱な夏。それでも、やり直せなくてもいいから、せめてまだ終わらせたくない。

卒業できません

 就職活動や最後の考査を終え、卒業を控えた大学4回生の2月。新居に入れる家具を買いにわざわざ県外まで出掛けたその日、留年の報せを受けた。完全に自業自得かつ崖っぷちと思えたその状況に立たされても尚うんざりするほど何度も大学と電話でのやり取りを行い、それよりも遥かに辛い家族との話し合いも一段落し、内定先に謝罪の連絡を入れ、それなりに落ち込んだり泣いたり叱って貰えたりしながら清らかな気持ちで数週間をすごした。

  大方のことは受け入れ、反省し、感謝さえした。けれども卒業式の当日、袴や振袖を着て写真に収まる美しい同窓生達の華やかな様子をスマートフォン越しに眺め、何とも言えない気持ちになった。その写真を見ることができないほどの落ち込みはなかったが、いったん伏せてみたり着物の柄をなんとなく拡大してみたりしながら、これが留年するということか、とようやく自分が負うべき情けなさと恥ずかしさに触れることができたような気がした。

 本当のことをいうと、私には大学で新たにできた友人はほとんどいない。そのわずかな数人とも、たまに会ってはその様子を写真に残しSNSに載せ、スマートフォン越しに見せびらかすことではじめて成立するような関係だったのではないかと不安になる。ただ、大学で知り合った学科の友人らは、本当に優しく上品で知的な、見た目も心も美しい女の子ばかりだった。思春期の盛りを過ぎてから出会ったことや、それまで築いた友人関係よりも関わりが薄かったため良いところしか見なかったこともあるが、お嬢様女子大といわれるだけのことはあり、皆本物のお嬢さんであった。

 彼女達のきらびやかな卒業式をSNS越しに見張りながら、私の存在はあの娘たちの大学生活から投げ出されてしまったなと少し不貞腐れ、一つ下の学年の、同い年の恋人に会いに行くことにした。

 卒業式は私の恋人の住むアパートの最寄り駅から徒歩3分のキャンパスで行われていた。本当はどちらが目的だったのか考えたくはないが、ここまで来たのだからついでに、と自分に言い聞かせて会場に向かった。卒業式の時間はとうに終わっていたが、誰か知り合いがいるかもしれないし、友人に会えるかもしれない。そう考えると同時に、さすがに今日は誰にも会いたくない気分でもあった。会ってもおめでとう以外に何を言えばよいのか分からないし、私と会うことでその誰かに気まずい思いをさせてしまう。せっかくのおめでたい日にシミを残し、自分にとっても苦い思い出を増やすだけではないか。自分でも何がしたいのかわからないまま、懐かしくもない他学部のキャンパスの門をくぐり、式場外の花道を進む。やはり自分の学部の式はとっくに終了している。別の学部の卒業式も今しがた終わり、これから花道を通って退場するところらしい。先輩や友人、恋人の晴れ姿を見に来たらしい顔見知りに何人か出くわし気まずい顔をされたが、なんとか平静を装って通り過ぎた。やがて校舎の扉から溢れ出た色とりどりの袴を着た女の子たちの流れに逆らって進み、そのままどこまで歩けばよいのか、どこへ行きたいのかも分からず、図書館へと逃げ込んだ。学生証で図書館のゲートを通り抜けるとき、あ、これまだ使えるんや、とにんまりし、張りつめていたものを緩めたのがいけなかった。

 もろもろになったトイレットペーパーで何度も顔を拭い、立ち上がって個室を出るまでに、30分は掛かったのではないかと思う。私は自分が何故泣いているのかも分からないまま、このやるせなさの落としどころがどこにあるのかを考え続けた。

 一日中握り締めた水色のスマートフォンは、その日一度も鳴らなかった。

ちゃんとしてほしい

 私の駄目さにいちいち付き合わされている私はとても可哀想だと思う。小学生まではよかったが、評判も偏差値もさして高くない中高一貫教育の学校にわざわざ入学したあたりから、私はおかしな人間になってしまったような気がする。

 どこがどのようにおかしいのか具体的に説明するのは難しいが、とにかく忘れる、遅れる、間違える、勘違いをする、分かっていてもできない、動けない、とんでもない失敗をする。それはただ私がそそっかしいだけかもしれないし、だらしがないだけかもしれないし、誰にでもあることを気にしすぎているだけかもしれない。しかし、インターネットなどでよくみかけるアレやアレの症状にもよく似ているなあ、と思い当たる節もあり、本当にまともでなくなってしまうことには恐ろしくなる。駄目を自称し駄目自慢で人を笑わせ笑われる私だが、それすらも自己顕示欲のあらわれや個性派気取りの設定の一つで、所詮はファッション駄目人間でいたいのだと気付き、恥ずかしいやら情けないやらでやるせない気持ちになる。同時に、病名の付くものや生まれつきの何かと考えて仕方のないこととしたがっている自分の狡さや甘えにもうんざりする。

 留年した、学費が高い、アルバイトを詰めすぎてしんどい。去年何となくで就職を決めていた明らかにヤバい会社の内定を辞退し再び就職活動に取り組んでいるものの、ほとんど動けない。エントリーシートを書けない、面接に行けない、内定がない、就職できない。

 こんな状況に追い込まれてもまだ本気を出せない私って、ホントにどうかしてるよね。自分から少し離れたところに、どうしようもない自分をぼんやりと眺める自分がいて、そちらが本当の私である。私は自分のどうしようもない行いを他人事のように感じ、わらったり悲しんだりしながらそれを眺めている。誰かに叱られればいいのになあ、と考えている。