明るい生活

みんなに読まれたい

ちゃんとしてほしい

 私の駄目さにいちいち付き合わされている私はとても可哀想だと思う。小学生まではよかったが、評判も偏差値もさして高くない中高一貫教育の学校にわざわざ入学したあたりから、私はおかしな人間になってしまったような気がする。

 どこがどのようにおかしいのか具体的に説明するのは難しいが、とにかく忘れる、遅れる、間違える、勘違いをする、分かっていてもできない、動けない、とんでもない失敗をする。それはただ私がそそっかしいだけかもしれないし、だらしがないだけかもしれないし、誰にでもあることを気にしすぎているだけかもしれない。しかし、インターネットなどでよくみかけるアレやアレの症状にもよく似ているなあ、と思い当たる節もあり、本当にまともでなくなってしまうことには恐ろしくなる。駄目を自称し駄目自慢で人を笑わせ笑われる私だが、それすらも自己顕示欲のあらわれや個性派気取りの設定の一つで、所詮はファッション駄目人間でいたいのだと気付き、恥ずかしいやら情けないやらでやるせない気持ちになる。同時に、病名の付くものや生まれつきの何かと考えて仕方のないこととしたがっている自分の狡さや甘えにもうんざりする。

 留年した、学費が高い、アルバイトを詰めすぎてしんどい。去年何となくで就職を決めていた明らかにヤバい会社の内定を辞退し再び就職活動に取り組んでいるものの、ほとんど動けない。エントリーシートを書けない、面接に行けない、内定がない、就職できない。

 こんな状況に追い込まれてもまだ本気を出せない私って、ホントにどうかしてるよね。自分から少し離れたところに、どうしようもない自分をぼんやりと眺める自分がいて、そちらが本当の私である。私は自分のどうしようもない行いを他人事のように感じ、わらったり悲しんだりしながらそれを眺めている。誰かに叱られればいいのになあ、と考えている。